“Balance of power" Vitalik Buterin
from 2026-03-17
2025-12-30 Balance of power
Vitalik Buterin
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世の中には三つの怖いデカいやつがいる。巨大政府、巨大企業、巨大群衆(モブ)。どれも便利だが放っておくと暴走する。だから「権力の均衡」が大事だ、が出発点。
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歴史的には距離や人間のコーディネーションコストという自然な「規模の不経済」があったおかげで、放っておいてもそこそこバランスが保たれていた。だが21世紀はテクノロジーのせいで全部の力が同時にバカでかくなり、自然均衡が崩壊しつつある。
政府の理想は「プレイヤーではなくゲームであれ」。つまりルールを提供する審判であって、自分でボールを蹴るな。リバタリアニズム、ハイエク的自由主義、法の支配、権力分立、補完性原理、多極主義――全部この一文で要約できる。権威主義国家ですら「個人支配型」は「制度化型」より経済成長が悪い、というデータがある。
企業の問題は二つ。
①邪悪 evil になる(利潤最大化が社会の利益と乖離する)
例:ユーザーをクリック中毒にしたり、カルテルを組んで値段を吊り上げたり、川を汚染したりすること
②つまらなく lame なる(均質でリスク回避的で画一的)
例:世界中の都市を同じ見た目にしたり、ハリウッド映画が全部同じ内容になったりすること
これらをひっくるめてsoullessという
どちらも同じ原因から生まれる
「動機の共通性」企業はみんな利潤を追求しているから、強い同一の動機を持つ多数のアクターが同じ方向に引っ張り、反対方向に引っ張る力がない。
「エージェンシーの共通性」企業が巨大になるほど、周囲の環境を自分に都合よく歪めるインセンティブと能力が増す。
10億ドル企業は1000万ドル企業100社より遥かに環境を歪める力を持つ。スタバが都市の均質感に与える影響は同規模の競合100社の合計より大きい。
ではsoullessの反対語、つまり「魂」とは何かというと、それは多元性(pluralism)だ、と。企業間で均質でない部分こそが魂である。
利潤動機だけでは説明できないそれぞれの企業固有のもの
イノベーションを無償で公開する判断、深く信じている価値観、美学
基素.iconみんなが同じ価値観になったらsoullessになる?例えばみんなが人権を信じていたらどう?
Claude Opus 4.6.iconVitalikの議論の枠組みに沿って考えると、答えは「場合による」になる。
Vitalikが「ソウルレス」と呼んでいるのは、動機の共通性が行動の均質化を生む場合の話。利潤動機が問題になるのは、それが具体的な行動レベルまで同じ方向に引っ張るから。「利潤を最大化しろ」という動機は、ほぼ自動的に「ユーザーの注意を最大限搾取しろ」「コストを下げろ」「リスクを取るな」という具体的行動に変換される。だから世界中のスタバが同じ見た目になり、ハリウッド映画が全部同じ構造になる。
「みんなが人権を信じている」は動機としてはかなり抽象度が高い。人権を信じている人でも、具体的に何をすべきかについては激しく意見が割れる。表現の自由と差別からの保護が衝突したらどちらを優先するか、経済的権利をどこまで含めるか、文化的慣習と個人の権利が衝突したらどうするか。だから「人権を信じている」レベルの共通価値観は、行動の均質化にはあまりつながらない。多元性は保たれる。
問題になるのは、抽象的な価値観が具体的な実装と一体化した場合。たとえば「人権を信じている」が「この特定のNGOの基準に従え」「この特定のスコアリングシステムで評価しろ」「この特定のコンプライアンス手順を全社に導入しろ」まで具体化されると、利潤動機と同じ構造になる。全企業が同じDEIチェックリストを使い、同じESGスコアを追い、同じコンサル会社のテンプレートを導入する――これはまさに「動機の共通性」が「行動の均質化」に変換された状態で、Vitalik的にはソウルレスと呼びうる。
実はあなた自身の構想がまさにこの問題に直面している。VISA/Mastercardの基準は、もともと「違法なものを排除する」という抽象的には正当な動機から始まっている。だがそれが具体的なコンプライアンス基準として全プラットフォームに一律適用された結果、合法な表現まで均質に排除される「ソウルレス」な状態が生まれた。問題は「人権を信じること」や「違法コンテンツを排除すること」自体ではなく、その実装が単一の具体的基準に収束し、全員が同じ行動を取らされることにある。
だからVitalik的に言えば、重要なのは価値観の中身ではなく、それが行動レベルでどれだけの多様性を許容するか。みんなが人権を信じていても、その信じ方と実践の仕方が百通りあるなら、魂はある。みんなが同じ人権チェックリストに従っているなら、ソウルレス。
Vitalikの「ソウルレス」は、「共通の最低ラインが存在する」ことではなく、「最低ラインよりはるか上の部分まで行動が均質に収束している」ことを指している。共通の最低ラインはむしろ多元性の前提条件であって、多元性の敵ではない。
あなたの同人プラットフォームの構想がちょうどこの区別を体現している。「日本法に合法か」という最低ラインは、ゲームのルール。これは均質化ではなく、むしろその上で多様な表現が可能になるための土台。一方、VISAの基準が全プラットフォームに一律適用されて「催眠」が伏せ字になるのは、ルールの上のプレイの部分まで均質化されている状態。だからソウルレス。
巨大群衆への恐怖は、市民社会の理想――多数の独立した組織がバラバラに活動している状態――が崩壊し、カリスマ指導者のもとで一つの目標に向かって暴走する状態。「民衆は一枚岩」という虚構が危険。
三つの力の間の均衡も重要。資本主義的民主主義は政府と企業の相互牽制。ビリオネアの慈善活動も、市場が出さない公共財・政府が出さない非コンセンサス的プロジェクトを埋めるカウンターバランスとしてなら健全。だがシリコンバレーで起きているように、テック富豪が政府と融合し始めると均衡が壊れる。2013年のリバタリアン的「exit」志向のほうが、2025年の政府との癒着よりずっとマシだった。
関連:スーパーリッチの政治買収
経済の規模の経済(economies of scale)は人類の進歩に不可欠だが、同時に権力集中の最大のドライバー。
過去には「規模の不経済」と「拡散(diffusion)」が歯止めになっていた。
現代は、規模の経済は上がり、制御の拡散は下がっている。
①技術進歩が超指数的な規模の経済を加速し、
②自動化で人間の調整コストが減り、
③プロプライエタリなソフト/ハードが「使用権は配布するが制御権は拡散しない」という状態を作り出している。
解決策は「拡散を強制せよ」。具体例として:EUのUSB-C標準化、中国の強制技術移転、米国の競業避止義務禁止、コピーレフトライセンス(GPL)、知的財産へのハーバーガー税、プロプライエタリ度に応じた関税。
さらに「敵対的相互運用性(adversarial interoperability)」をもっと使え。SNSの代替クライアント、広告ブロッカーの応用版(AI生成コンテンツのフィルタ等)、分散型の法定通貨-暗号通貨取引所、Sci-Hub。
要はプラットフォームの価値は享受しつつ、許可なくインターフェースを乗っ取れ。
Glen Weylとオードリー・タンの「Plurality」も重要。「差異を越えた協力」により、大きなグループの規模の経済を享受しつつ、単一の目的指向エージェントになるデメリットを回避する。
基素.iconどういうこと?
Claude Opus 4.6.icon普通、規模の経済を得るには組織を大きくする。だが大きな組織は一つの意思決定主体(エージェント)になるから、権力が集中する。Plurality的な発想は、バラバラな目標や価値観を持った集団が、合意形成や協調のためのプロトコル(技術的・制度的な仕組み)を使って、合併せずに協力する、というもの。
たとえばオープンソースコミュニティや国家連合がそう。Linux開発者たちは一つの会社に属していないが、共通のプロトコル(Git、ライセンス、メーリングリスト)を通じて巨大企業に匹敵するソフトウェアを作っている。一つの会社なら上司が「次はこれを作れ」と命令できるが、オープンソースでは各自が好きなことをやりつつ成果を共有する。規模の果実は得るが、誰かが全体を支配する構造にはならない。これが「単一エージェントにならずに規模の経済を享受する」の意味。
基素.iconこれ固有の難しさもあるよな
これは構造的にはピケティのr>g問題と似ているが、富そのものではなく「富の集中を生む手段=生産手段」の拡散にフォーカスしている点が違う。こちらのほうが危険なもの(排他的な極端な成長)を直接狙い撃ちでき、効率を上げうるし、ビリオネアだけでなく独裁政府にも対処できる。
基素.iconなぜ?
Claude Opus 4.6.iconピケティの処方箋はグローバル富裕税、つまり金持ちから金を取って再分配する。これは結果(富の偏在)に事後的に対処している。Vitalikが言っているのは、富が集中する原因そのもの――つまりプロプライエタリな技術、独占的ネットワーク効果、閉じた知的財産――を拡散させろ、ということ。
生産手段の再分配
具体的にどう違うかというと:富裕税は「Googleが年間X兆円稼いだからY%取る」だが、技術拡散の強制は「Googleの検索アルゴリズムやAPIを一定のスケジュールでオープンにしろ、さもなくば関税を課す」に近い。前者はGoogleの支配構造をそのままにして上澄みを取るだけ。後者は支配構造そのものを崩す。だから「直接狙い撃ち」。
そして富裕税はビリオネアにしか効かない。独裁政府が軍事技術やAIを独占していても、富裕税は無関係。だが「技術をオープンにしないなら貿易や協力から排除する」という拡散戦略は、国家にも企業にも同じロジックで適用できる。だから「ビリオネアだけでなく独裁政府にも対処できる」。
さらに効率面でも、富裕税は純粋にゼロサムの再分配だが、技術拡散は知識が広がることでイノベーションの総量自体が増える可能性がある。だから「効率を上げうる」。
多元主義のリスクは「脆弱な世界仮説」――技術が進めば壊滅的被害を出せるアクターが増える。だからこそd/acc(防衛的加速主義)が補完戦略として必要。攻撃に対抗する防御技術をオープンに全員が使えるようにして、安全保障を理由にした権力集中の必要性を減らす。
最後にモラルの話。奴隷道徳は「強くなるな」、主人道徳は「強くなれ」。均衡のモラルは「覇権を握るな、しかしインパクトは出せ、他者をエンパワーせよ」。"power to" と "power over" の区別。
Claude Opus 4.6.iconこれはニーチェの概念。
奴隷道徳(Slave morality)は弱者の側から生まれた道徳で、「強さ」や「力」を悪とみなす。謙虚、従順、自己犠牲を美徳とし、強くなること自体を道徳的に非難する。キリスト教道徳が典型例とニーチェは言った。
主人道徳(Master morality)は強者の側の道徳で、力、卓越、自己肯定を美徳とする。強くなることは良いことであり、弱さは軽蔑の対象。
Vitalikはこの二項対立を踏まえた上で、第三の道を提示している。「覇権を握るな(hegemonic になるな)、しかしインパクトは出せ、他者をエンパワーせよ」。つまり力を持つこと自体は否定しない(奴隷道徳とは違う)が、その力で他者を支配することは否定する(主人道徳とも違う)。"power to"(何かをなす力)は奨励するが、"power over"(他者を支配する力)は制限する、という均衡の倫理。
Ethereumのステーキングプール Lido が好例で、24%のシェアを持ちつつも内部分散化・デュアルガバナンスで単一アクターにならない努力をしている。すべてのプロジェクトは「ビジネスモデル」だけでなく「分散化モデル」も考えるべき。
基素.iconエッジ表現を諦めない同人販売プラットフォームの構想と関係する?
Claude Opus 4.6.iconあなたの構想はVitalikの記事が抽象的に語っていた「敵対的相互運用性」「拡散の強制」「ゲームであれプレイヤーになるな」「power toはあるがpower overは制限する」を、日本のアダルト同人市場という具体的な文脈で実装しようとしているもの、と位置づけられる。
これはVitalikの「分散化モデル」の議論と非常に深く関係している。しかも単なる類似ではなく、Vitalikが抽象的に語っていることの具体的な実装例の一つになっている。いくつかの軸で整理する。
「敵対的相互運用性」そのもの
Vitalikが最も具体的に推していた戦略が adversarial interoperability ――プラットフォームの許可なく、その価値だけ享受しつつ支配から逃れる手法だった。あなたの構想の「検索レイヤーにはVISA基準外コンテンツも載せるが、決済だけをVISAから切り離す」という設計はまさにこれ。VISAの決済ネットワークという巨大インフラの価値(利便性・普及率)は使える部分で使いつつ、VISAの「検閲権力」が及ぶ範囲を構造的に限定する。VISAと戦うのではなく、VISAの権力の射程を設計で縮める。Vitalikが「プラットフォームの価値は享受しつつ、許可なくインターフェースを乗っ取れ」と言っていたことの決済版。
「離脱の自由」=拡散の強制
Vitalikの核心的主張は「拡散を強制せよ(mandate more diffusion)」だった。データポータビリティとセルフホスティングの保証は、まさに制御の拡散。FANZAやDLsiteのようなプラットフォームが50%の手数料を取れるのは、クリエイターがロックインされているから。あなたの設計で「作品データはクリエイターが所有し、いつでもポータブル」にすることは、Vitalikの言う「プロプライエタリなソフト/ハードが使用権は配布するが制御権は拡散しない」問題への直接的な回答になっている。
DLSiteやFANZAでも作品データはクリエイターが常に持っているのだから、この点は何も変わりはない基素.icon
「プラットフォームのやる気次第で売れなくなる」かどうかが決定的に違う。しかしこれは直接的なロックインとはいえなそう
しかもあなた自身が書いている通り、この離脱の自由がプラットフォーム自体の手数料を適正に保つ市場圧力として機能する。つまり分散化が効率を上げる。Vitalikがピケティとの差として挙げていた「効率を上げうる」というのはまさにこういうこと。
「ゲームであれ、プレイヤーになるな」の民間版
Vitalikは政府について「ゲームであれ、プレイヤーになるな」と言っていたが、あなたのプラットフォーム設計思想はこれをプラットフォーム事業者に適用している。判断基準を「日本法に合法か」の一点に限定し、「VISAが嫌がるから」「世論が厳しいから」をプラットフォームの判断基準にしない。これはプラットフォームが独自の価値判断を持つ「プレイヤー」になることを自ら拒否し、ルールの透明な執行者(ゲーム)に徹するという設計。FANZAやDLsiteの問題は、彼らが不透明な自主規制を通じて「プレイヤー」になってしまっている点にある。
政府と民間は別の話、という切り口もある基素.icon
VISAの検閲可視化=Vitalikの「権力構造の透明化」
あなたの構想で特に面白いのは、「VISA決済不可」ラベルを明示することでVISAの検閲範囲がデータとして可視化される点。Vitalikは直接これに言及していないが、権力の均衡を維持するための前提条件として「誰がどこで何を制限しているかが見えること」は不可欠。今のFANZA/DLsiteでは、VISAの圧力とプラットフォームの自主判断が混ざって不可視になっている。これを分離・可視化することは、権力の均衡を回復するための情報基盤を作ること。
一つだけVitalikの議論と緊張する点
Vitalikは「分散化モデル」を考えよと言いつつ、Lidoの例では「内部的に分散化されたDAO」を理想としていた。あなたの構想は弁護士個人の資格と覚悟に信頼の根拠を置いている。これは逆にかなり「個人主義的」で、Vitalikの言う「personalistic」な構造に近い面がある。弁護士一人の判断に法的基準の運用が依存する設計は、その人がいなくなったらどうなるのか、という問題を内包する。長期的には、法的判断基準のオープン化や、判断プロセス自体の分散化(複数の弁護士によるレビュー、判断履歴の公開データベース化など)を組み込むと、Vitalikの分散化モデルとより整合する。とはいえ、初期段階で「弁護士が資格を賭けて運営する」というシグナルが信頼の核になること自体は合理的で、ローマの「独裁官」的な初期集権から段階的に分散化する道筋として理解できる。